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11:00「北陸線に新疋田駅があるのに疋田駅は日本中どこを探してもない」と気付いている人多いはず。
14:20 岩切から「北上(ほくじょう。きたかみじゃねーぞw)」じゃないかな?旧線、利府駅から少し走った所から勾配が有ったとか。その路線で烝機の乗務をしていた友人の身内(お召にも乗務)曰く「登りきれずに一旦下りて再出発した事が度々」だそうな。
福知山線がまだ単線の時大阪から博多まで特急まつかぜ号が走っていました。
福知山線の旧線、山陰本線の嵯峨野トロッコ列車みたいに仕立て直し出来なかったの、残念ですね。北陸本線の杉津、風光明媚で、岡﨑鼻の景色は日本有数の名シーンでした。
ショートカット路線と言えば水戸線を思い出しましたが取り上げてませんね。東北本線で東京方面からだと小山駅でスイッチバックをしないといけないために貨物列車の運行に支障をきたしていたために1950年に小山駅南部に小山駅を回避する短絡線がつくられた。この短絡線は貨物列車のみならず急行「つくばね」にも運用された。しかし1985年に急行つくばねが廃止されると全然使われなくなり2006年に完全に撤去されて廃止された。
時刻表に記載されていた間々田と小田林の間の短絡線ですね。1975年の時刻表には短絡線と「急行つくばね」はくっきりと残っております。上野発16:40 短絡線を経由して結城の1750に到着してそこから普通扱いとなり勝田1905分着ですね。車両は何を使っていたのでしょうか。
和歌山線田井ノ瀬以西のように、貨物短絡線が本線に昇格し、元の路線が最終的に廃された例もありますね。
急勾配回避のためにわざと遠回りの迂回路線を建設する例もある。
大変よい勉強✏️になりました。
山陽新幹線は運賃を 岩徳線経由で移動したものとみなして計算してました。国鉄時代は紀勢本線のショートカットという役割を生かす事が出来ずに廃止され 3セクになって本領を発揮した「伊勢線→伊勢鉄道」もありますね。
伊勢線は現第三セクタなので除外いましましたが北越急行、智頭急行、井原鉄道秋田縦貫内陸鉄道など国鉄未成線もそれに相当しますのでそこも含めた形で再特集したいとと思います
@@heitetsu4649 さんその場合は 阿武急は失敗例?というか 造るのが遅かった😅
そのとおりだと思います。阿武隈急行は東北新幹線が開通する前の在来線全盛期に丸森線延伸として国鉄として開業したら違っていたかもしれません。槻木駅へ行く用事がありましたが乗車シている人はそんなにいなかったでした
伊勢線は、紀勢線の別線として名前付けなければ三セクにならなかったんでしょうね
@@シュウ-y2p さんおそらくそうでしょうね。独立した路線故に収支係数も単独で弾かれてしまうからそうなってしまう訳ですが東海地区の国鉄は 岡多線に伊勢線と やりようによっては稼げる路線を活かせずに手放してしまいましたね。岡多線なんか 現在の愛環よりも本数が遥かに少なかったし。
コメントでやたら指摘が多いが、なぜ添田線がショートカット路線だといえるのか疑問あと利府支線はショートカット扱いするには解釈が分かれそう
一番最初に岩徳線が頭に浮かびました
そうですね。岩徳線は運用面のショートカットは失敗しましたが運賃計算で使われるショートカット計算は乗客にとって成功ですね。
動画の視聴もショートカットしようかと思いましたが、2倍速でやり過ごして時間短縮ができました。
筑肥線の二つの事例も紹介してほしかったです。ひとつはショートカットというか市街南部を迂回していた国鉄を廃止して都心をダイレクトで経由する地下鉄に置き換え、さらに旧来の姪浜以西を直流電化したうえで九州唯一の相互直通運転を行うものになったもの。もう一点は唐津市内でスイッチバックなどをしていた旧ルートを相互直通運転に備えて高架化し唐津市内、唐津市街を一直線に結ぶルートにショートカットしました。
はい。実は当チャンネルの「同一路線の光と影 筑肥線」でとりあげております。ruclips.net/video/MiTX9byKYi4/видео.html ただしこのショートカット路線の趣旨にも合致しますのでこの動画のダイジェストを次回の第二弾の中に入れさせていただきます。ありがとうございました。
四国の内子線の海線は下灘経由の観光路線に、山線は特急街道に転身した稀に見る成功体験です他は自然災害との格闘の末生まれた短絡線で、土惨本線とも揶揄された時期がありました
確かに土讃線は大歩危あたりや窪川手前の土佐久礼あたりは大雨による災害が多そうですね。ありがとうございました
四国は国鉄が「今治」を重視しすぎて、伊予小松〜横河原間で短絡線を作らなかったり、高規格の阿佐海岸鉄道やごめん・なはり線を活用せず、土讃線の急曲線解消(ショートカットと逆ですが)をしなかったりしていますね。
@@МасаёсиХаяси 確かに今治は今も昔も瀬戸内地方の要ではあります。とはいえ国鉄の政策も中央集権すぎて、地方の現状と乖離してしまっている部分が多くありましたね。
国鉄に買収された軽便の宇和島鉄道、愛媛鉄道と国鉄が見向きもしなかった伊予鉄横河原線・郡中線の差異が顕著と感じます。
@@МасаёсиХаяси 古くから今のJR四国があれば、また違った今だったかもしれませんね
内子線に憑いては、多少は思う所が有るんだけれど?、海線を割高な運賃計算にと、内子線は割安な運賃計算に編入してほしいとは思うけれども?、
なぜ予讃線の桜三里線は建設されなかったのだろう。高度経済成長期の技術ならできたはずなのに。
私鉄ですが、名鉄名古屋本線の名古屋-一宮間は開業当初は岩倉経由の東一宮までの路線だったので、これも広い意味ではショートカット路線になりますね。
奈良市民にとっては、大軌(=近鉄奈良線)の開業がショートカット路線の位置付けですね。
最近では、平城京跡を迂回するというショートカットに逆行する計画が検討されていますが、奈良市民の方々はどう思われているのでしょうね。
平城京跡は史跡探索技術が発展してなかったので国も認可して大阪電気軌道が敷設したらしいです。だから近鉄を責めても認可した国の責任が問われるので費用の負担がすったもんだしたみたいです。今回は大和西大寺の平面交差スパゲッティー路線の解消、高架、迂回全てセットで行うらしいです。朱雀大路駅と油阪駅が新設されますが、油阪駅はxx年ぶりの復活となります。2040年開業予定。気が長くなる話ですね。
国鉄路線のショートカットの民鉄線もネタになりますね。名鉄名古屋本線、京急本線、小田急小田原線、近鉄京都線、琴電琴平線あたりが成功例、新潟交通線、加越能鉄道加越線、長野電鉄河東線、京福電鉄越前本線、琴平急行電鉄あたりが廃線の憂き目例二極の中間で近江鉄道本線、近鉄南大阪・吉野線といったところかと感じる。
むかし(少なくとも40年以上前)雑誌で、ポイントの切替ミスで山陽本線の特急電車が岩徳線に進入して動けなくなったという記事を読んだことがあるのですが・・・そこまで急いでいたのか、特急・・・・
新幹線もショートカット路線かな。東海道新幹線は東海道線の営業キロで運賃が決まるし、名実ともに東海道線のショートカット路線。
はい、多くの方からもいただいております。ネタバレしますが制作中です
@@heitetsu4649 東海道新幹線は東海道本線の別線扱いで、東京から新大阪までの東海道本線の552.6kmを515.4kmを552.6kmに短縮しています、
@@psychedelicraspberry517 現在においても、東京から新大阪の東海道新幹線の運賃は、在来線の東海道本線が基準になっており別線です。東海道新幹線は独立した路線扱いになっていないです。裁判でも揉めて、今のところは、東海道新幹線は東海道本線に増設された路線という扱いが維持されています。
@@psychedelicraspberry517 新下関と博多は山陽新幹線かな。確か、山陽新幹線は山陽本線とは別の独立した路線として、運賃を計算していたと思います。
丸森線のこと話している人いないのびっくりアレも元々越河峠を迂回するための短絡線として計画されたのに(なお意味なくなった模様)
阿武隈急行を言われた方はおり、今回制作中です
東海道本線のショートカット(バイパス)として中央本線が作られたという例もありますね
東海道本線が砲撃された場合に備えて中央本線を敷設したと書かれておりました。東海道本線が名古屋~東京が在来線で366km、中央本線が名古屋~塩尻の中央西線が174.8km 東京~塩尻の中央東線が222.1kmで合計 396.9kmショートカットになっていませんね。これ塩嶺トンネル経由の距離なので大八廻りの場合はもっと距離があったことになりますね。
JRの「ショートカット路線」の失敗作ワースト1位はJR大網駅の西寄り移転と外房線の短絡化と思います。理由はこのショートカット実施で外房・内房線を一周して蘇我駅に戻る際に車両の向きが反転して総武地下線の保安装置に支障が生じたため、房総一周の観光定期特急や観光定期快速ができなくなったからです。スピード重視のあまり鉄道の面白みや優雅さを喪失した典型例と感じます。
大網駅のスイッチバック解消は究極の失策と思うが、逆に塩尻駅のスイッチバック解消は良策だと感じる。
戦前、戦中は旧陸軍がなるべく海側を避けたかった経緯がありますね。艦砲射撃を嫌ったためです。岩徳線なんかも戦略的な意味もあったのではないでしょうか。
その通りです。海岸線を迂回しない分、距離短縮もでき有利と考えられたのですが、岩国を無視した路線設定に無理があったようです。
>岩国を無視これは、岩国駅のある麻里布を無視ということですね。麻里布は現在の三井化学が出来てから発展した場所です。元々の吉川氏の岩国城下町は西岩国駅の方が近く、岩徳線はむしろ「岩国に寄せていて」、岩徳線開通前の「いちすけ路面電車」を代替しています。
☆ 旧国鉄添田線は是非お願いします。元々ショートカットのための路線ではなかったのに結果的に運賃計算上そうせざるを得なかったという経緯、未成線のままトロッコ部分だけ残った油須原線の悲劇に加え、日田彦山線の鉄道線としての短縮の結果、新たな「添田線」がJR九州に誕生するかもという悪寒まであるので。
添田線のルートは元々小倉鉄道が開業させたもの。現在日田彦山線の一部となっている香春から田川伊田や田川後藤寺を通るルートの大元は豊州鉄道→九州鉄道によって造られ、国有化後に「田川線」と呼ばれました。小倉鉄道が鉄道省に買収され「日田線」の一部になり、その後「日田彦山線」の成立後に日田線から分離されたのが「添田線」となりなす。仰る通りショートカット目的で造られた訳ではありません。
第二弾で特集しました。切り離した相手方の日田彦山線も部分的(添田~夜明)には添田線と同じ運命をたどることになりました。添田からというくくりが添田線の怨念かもしれません
添田線の類似例として、長井線の赤湯〜今泉間もありますね。米沢のような人口集積地を抱えなかったため、新潟〜山形間の短絡ルートとして機能せず、三セク化されました。長井線は、山形新幹線実現に際して、左沢線と結んだ狭軌バイパス線が検討されなかったオマケがあります。
3:39 39-19が30?
自分はショートカット路線といえば日田彦山線(香春~添田)と添田線でしょう日田彦山線のショートカットとして建設されましたが日本1の赤字線を美幸線と争っていました朝と夕方しか運転されませんでした元々人口が少ないところを通るので仕方ないことですが途中の大任ではあの有名な未成線柚須原線(完成立95%)と連絡する予定でしたがそれも夢となりました 仕方のないことですがぜひ両方とも乗車してみたかったです
添田線に関しましては他の方からもたくさんのリクエストが来ておりますので現在制作中の第二弾で入れております。すでに時刻表も調査しましたが仰る通り朝夕だけでした。
伊勢鉄道は第三セクターだから本動画の趣旨から外れるかもしれないけど、もともと国鉄の路線だから取り上げてもよかったのでは。
第二弾でご紹介させていただきました。よろしくお願いいたします
@@heitetsu4649 動画拝見しました。ありがとうございました。
3:36 39-19=30?あと札幌ー帯広間を2時間以上短縮した石勝線を取り上げて欲しかった...
岩徳線は今の土木技術なら成功してたでしょうね。
山陽新幹線は岩徳線の思想の生まれ変わりだと思います
そうですね。岩徳線は時期尚早といった方がいいと思います。今だったら完全にショートカット路線になっています。
国道2号、山陽自動車道も同じルートですね
もし仮に岩徳線が作られていなかったら、今となっては長距離旅客の時間短縮目的なら新幹線があるからもういらないってことで、あの路線は未来永劫作られることもなかったでしょうね。岩国下松間の道路も以前に比べてバイパスが整備されているし、山間の道なので信号のある交差点もそれほど無く、元々渋滞もほとんど無い道なので、マイカーが普及した現在ではあの区間近辺の移動だけなら車を選択する人が大多数ですし。車が無いと生活に支障が出るような地域なので、多くの世帯がマイカーを持っていますからね。現状においては通勤は車を使う人が大半なので、主に通学の利用者のために赤字でも廃線にできないといったところでしょうか…しかし、今後通学客も減るだろうし、貨物にも使えない岩徳線はもういっそ廃線にして、替わりに国道2号線のバスの本数を多少増やした方が、JRにとっては赤字路線の運行をしなくて済むし、バス会社の防長交通にしても利用者がいくらか増えて助かるんじゃないかと個人的には思います。米川駅だけ2号線から外れているので、そこにバスが立ち寄るようにすれば、今と比べて困る人も少ないでしょうし。バスだと鉄道と比べて運賃はちょっと高くなるし、所要時間も増えるかもしれないけど、通学のために数駅間程度乗車する利用者への影響はそんなに大きくはならないと思いますので。岩徳線を廃線にした場合の新幹線の運賃計算も、JR西日本がよろしくやってくれる、と思いたい…
山陰本線は昔の方が保津峡沿い走っていたので良かったです。
長崎本線の肥前山口~諫早もショートカット路線になるのでは?昭和初期のショートカット路線として丹那トンネル、岩徳線と同時期に完成しています。かつては早岐経由だったものを有明海沿いに変えたもの。来年の秋には西九州新幹線が部分開業してそちらもローカル線になりそうですが。
そうですね。おっしゃる通りです。抜けておりました。長崎本線の初期は肥前山口~早岐~大村~(連絡船)~長崎?でしたが有明線を建設して肥前山口~早岐が佐世保線に、早岐~諫早が大村線になった経緯がありました。今一つ納得いかないのが西九州新幹線が完成したとき平行在来線が長崎本線の有明線にあたる部分の肥前山口~諫早ですが、実際に結構離れております。大村線の方が平行在来線になるはずなのですが。線名の整合がだけですね。鹿島市がもめたのはこういったこともあるのでしょうか
@@heitetsu4649 さま大村線は既に福岡と長崎のルートから外れており、元の有明線が今は長崎本線で特急が走っていることから肥前山口~諫早が平行在来線と見なされたのでしょうね。鹿島市は特急が無くなるので新幹線を作るなと言っておりましたが結局はJR九州が23年間運転を継続することで合意しています。ただ、大村線を並行在来線とすると言う理論なら九州新幹線の本当の並行在来線は肥薩線になってしまいそうですね。昨年の豪雨による被災で今後の復旧が出来るかどうか危ぶまれていますが。
今、北陸新幹線絡みで湖西線が揉めてますね。こちらも、狭軌の「小浜線+小鶴線」による京都〜若狭間のショートカットがポシャって、北陸新幹線でショートカットが実現しますね。
急勾配を緩和させ輸送力の改善を図る目的で造られた遠回り別線として、九州内では鹿児島本線 八代~鹿児島 ← 現:肥薩線+日豊本線(隼人~鹿児島:ここも過去に「肥薩線」を名乗った経緯あり)長崎本線 肥前山口~諫早 ← 現:佐世保線(肥前山口~早岐)+大村線 *早岐~佐世保のみ当初より「佐世保線」が知られています。どちらも路線名称の変更を伴う大掛かりなプロジェクトです。
ありがとうございました。長崎本線がもともとは肥前山口~武雄~早岐~大村が長崎本線で大村から船で連絡していた時代があり有明線ができて佐世保線と大村線に名を変えたのは知っております。これも輸送力改善で有明線ができたと思います。蒸気機関車が中心の時代で勾配に弱いことから迂回路線は必要でしたです。肥薩線の大畑のスイッチバックは蒸気機関車がもくもくと煙を吐いていたビデオをみたときは無煙化が必要と思いました。
智頭急行も岡山〜鳥取間の視点では、遠廻りの輸送改善線となりましたね。
明治期の山岳路線は、だいたい何らかの改良をしているみたいですね。平野部でも作りやすいとこから作ったところが多いかも。
明治期の敷設は渓谷沿か海ギリギリの海岸沿で出来る限り勾配を避けたところが多いですね
国鉄関西本線 ・紀勢本線に対する伊勢線(ショートカット)が有った。今は会社が別だが。
8:40 大八廻りを通しで運行する列車は残っていますよ。岡谷8時10分発信濃大町行きの155Mが該当します。ちなみに岡谷~塩尻の所要時間は36分です。
国鉄時代の流れだと智頭急行や北越急行、阿武隈急行なんかもそうですね。丸森線は建設中に状況が変わっていらない子にされた
ああそういえば根室線の富良野〜滝川、石勝線もそうなりまりね根室線はバイパス線がバイパス線に駆逐されることに
その通りです。第二弾はそのことについて触れております。
信越線のショートカット路線として、上越線もぜひ候補の中に入れていただけると嬉しいです。
お待たせいたしました。第二弾で特集いたしました。よろしくお願いします。
長崎本線の市布経由(電化された新線)と、長与経由(非電化旧線)だと、市布経由の途中駅は、市布・肥前古賀・現川の3駅です。長与経由の途中駅は、東園・大草・本川内・長与・高田・道ノ尾・西浦上の7駅です。長与経由の普通列車が、長崎駅を先に発車しても、途中の停車駅が多いため、諫早駅に速く到着するのは、長崎駅を後に発車した、途中の停車駅が、僅か3駅しか無い、市布経由の普通電車になります。
自分が乗った時は長与経由はかなりの距離がありました。だから市布経由の長崎トンネルでかなりのショートカットができました。現川駅の真ん中の単線だけ通過線で両サイドに待避線がある線形もすきですね。でも長崎~高田~長与は長崎の市街地を通っているのでお客様はかなり多かったでした。
内子線についてはおそらく中途半端だったものを前線開業したまでだと思う。
まさかの新垂井線スルーよくここ通るので馴染み深いんやけどせめて名前くらい出してやってくれよ新垂井あったころに乗りたかった
第二弾の4.迂回路線のテロップに入っております。垂井線がショートカットで新垂井線は貨物輸送の勾配緩和の迂回路線ときいております
岩徳線は確かに失敗したが、山陽新幹線、山陽道、国道2号はほぼ岩徳線に沿っていますね。
岩徳線は運用面では失敗しましたが、運賃計算ではショートカットできて成功だと思います
この動画でいわれている趣旨とは異なるものの国鉄佐賀線(廃止)はどうなの?これこそ本来のショートカット路線でしょう。動画で紹介されている前半の特に福知山線あたりは、従来線路の線形の改良を目的としたあるいは電化に伴う「バイパス」/「線路切替」であってそれらが「ショートカット」と呼ばれるのに対し、自分は違和感を覚える。ショートカットといえるのは、北海道でいえば石勝線、三重県の伊勢鉄道のような位置付けにあるものと考える。
ご指摘の通り石勝線や湖西線もそれにあたりますが今回は路線の一部の改良に絞り第三セクタの伊勢鉄道は除外しました。線全体のものは次回特集したいと思います。ただ失敗の項目では路線全体の岩徳線を上げましたので矛盾を生じます。
低規格すぎて、ショートカット非機能の例として飯山線、越後線、太多線(+高山本線)の例を取り上げてはどうでしょうか?
岩徳線は経路特定区間で山陽新幹線・山陽本線・岩徳線を利用しても最短の岩徳線経由で運賃が計算されるのである意味成功かなと😅
おっしゃる通りですね。岩国と櫛ケ浜、山陽新幹線は岩徳線経由の運賃ですね。運賃計算の意味では成功かもしれません。
@@heitetsu4649 ただ、岩徳線が地方交通線なので山陽新幹線に乗る場合でも営業キロより割増の運賃計算キロで計算されるのはありますが😅
御殿場線→東海道線丹那トンネル信越線→上越線根室線(今の富良野線)→根室線→石勝線紀勢線→伊勢鉄道は有名な短絡線ですね。
ありがとうございます。御殿場線はこの動画の最後、上越線、石勝線、伊勢鉄道は第二弾で特集させていただきました
03:38 短縮時間は20分の間違い?
失礼いたしました。20分が正解です。
最初に長崎本線、最後に函館本線を持ってきておもしろいです。👍
ありがとうございます。函館本線は逆パターンなので失敗の方がふさわしいとおもいました。
特急がキハ82だった頃は上りの大半の優等列車が砂原線経由でした。はまなすやエルムも砂原線経由。急勾配を避けるためには特急すら遠回りしていました。北斗星だけはDD51の重連だったために大沼公園経由。今となっては乗っとけばよかったなと思います。ここを乗っていないがために北海道にもう一度行かなきゃ(笑)
上りのトワイライトエクスプレスは砂原線経由でした。
私鉄を含めていいなら、京成本線に対する成田スカイアクセス線が最初に思い付きました。今の横浜駅もショートカットのための移設になりますかね。
中央本線の 岡谷-塩尻 間旧線 新線 共に いいですよ特に、旧線の川岸駅が、良いですよね。
川岸駅はほのぼのとします。あの区間は飯田線と一体なので飯田線と勘違いします
テーマを見て一番に思い浮かんだのは旧添田線だった
添田線のルートは元々小倉鉄道が開業させ、小倉鉄道が鉄道省に買収された後「日田線」となりました。現在日田彦山線となっている田川伊田や田川後藤寺を通るルートは豊州鉄道→九州鉄道によって造られ、国有化後に「田川線」と呼ばれた一部になりました。結局、田川側のルートは現在の「日田彦山線」に組み込まれ、日田彦山線の成立とともに日田線から分離されたのが「添田線」となりなす。経緯が複雑すぎて、ショートカットとは単純にいえないと思います。
第二弾で入れるときに経緯を調査いたしましたら最初から小倉鉄道が南小倉(今はない)から城野をクロスして添田まで建設したそうです。ところが豊州鉄道→九州鉄道が敷設した路線を国有化したときに日田線(日田彦山線)を後藤寺経由に算入させて香春から添田(今任経由)を添田線に切り離したみたいです。実際時刻表でみると17分程度添田線の方が速いみたいでした。ありがとうございました。
ショートカットとして成功した路線に共通して言えるのは、車窓が悪いことです。ですので乗り鉄の私にとっては失敗です。
であれば新幹線はほとんど失敗ですね。山陽新幹線の大半はトンネルです。
鉄建公団がつくった路線はそういう意味ではほとんど失敗ばかりですね。十中八九ほぼトンネルばかりになる。
中央線と東海道線をショートカットするつもりで作られたのに全く役目を果たしていない城北線。ただし今後の計画次第で中央線と名古屋駅をショートカットする路線に変貌する可能性あり?
城北線は貨物やJRの優等列車を通せば活用されるはずですが、当時のJR東海の社長(須田寛氏?)が難色を示したと書いておりました。あの高規格路線を気動車1台が複線で名古屋の近郊を走っているのはいつも違和感を感じます。
JR貨物が愛知環状鉄道と共に、東京方面から名古屋貨物ターミナル駅への稲沢駅でのスイッチバック解消のためにテコ入れすればよいのに…
う~ん。ショートカットの解釈は人それぞれでなかなか難しい課題ですね。国鉄時代からの計画路線としては、智頭急行線でしょう。関西から鳥取までの所要時間を大幅に短縮した効果は大きい!今回の趣旨からは外れますが。第二次世界大戦直後の山陰線は、優等列車もなくて、鳥取から京都まで9時間かかったそうですからね。
そのとおりです。難しいです。今回のテーマはかなり解釈が広がると予想しておりました。智頭急行や北越北線(北越急行)、井原鉄道なども言えばショートカット路線となります。秋田内陸縦貫鉄道も阿仁合線と角館線をくっつけてショートカットさせようと計画されました。国鉄、JRでいえば湖西線や石勝線、御殿場線もその部類にはいります。広範囲に渡ることがわかりましたのでやはり第二弾で特集しようと思います。ありがとうございました。
広い意味では、三重から奈良中心部に向かう場合、関西本線がショートカット、近鉄線が迂回路線と見ることも出来ますが、運用でJRが負けていますね。亀山以西が電化されていないこと、そもそも単線であることに加え、歴史的に近鉄の営業が成功していることが、国鉄→JRでの運用が今一つな原因でしょう。
関西鉄道は省線に対抗するためショートカット路線を建設した経緯はございます。国有化以降、複線電化の近鉄に大いに水を開けられました
@@heitetsu4649 関西鉄道は官営鉄道と熾烈な競争をしたため、国有化したのちも継子扱いされている。別に省線に対抗してショートカット路線を建設したのではなく本来の東海道の街道筋にそって路線建設しただけであり、名古屋から亀山、柘植、貴生川を経由して草津に抜けるのが東海道である。
近鉄が迂回なのは、鉄道許認可権限を握っていた鉄道省をかわすため、前身の参宮急行電鉄が局地鉄道が持っていた路線免許を次々手に入れ、数珠つなぎした成果です。このノウハウが東名間でも実現しなかったのが残念。最終的には神宮前〜辰野間で5私鉄で繋がっていたのですが…明治の金満家は中山道幹線を政府が建設できなかった「負い目」をもっと利用できなかったのでしょうか???
人口が少ない方にショートカット路線造ると乗る人居なく成る問題も有る。
まさにそうです。国鉄時代に作られた添田線がまさにそれです。今回は路線の一部の改良ですが次回特集したいと思います。
タイトル見た時には、絶対添田線が出てくるだろうと思ってましたが。。。
第二弾にあります。よろしくお願いいたします。
@@heitetsu4649 ちょうど見つけてみていたところです(;゚∀゚)。ちょうど昨日アップされたんですね。
瀬戸大橋線も宇多津以西に対しては宇野線、宇高連絡船、予讃線をバイパスする成功したショートカット路線だと思う。
東北本線は後からショートカットをしたわけではないのでここに当てはまらないのでは?
そうですね。ショートカットをするつもりでつくったわけではないです。勾配がきついから海線に付け替えました。失礼いたしました。
陰陽連絡線だったのに廃止された三江線は?
三江線は口羽と浜原の間は宇津井駅のような高架の駅もあり線形もいいのですが、旧三江南線や旧三江北線の線形は蛇行のような感じなので陰陽連絡線の役割を果たさなかったと思います
個人的には粕淵〜大田市間に三江線の支線が「第3のほくほく線」として建設されていれば、陰陽連絡路線として機能したと感じます。で、「第2」はというと、私的には中呂線(中津川〜下呂)。中呂線がほくほく線規格でできれば、飛騨川沿いに急曲線の多い高山本線の代替線となり、中部横断路線として機能できたと感じる。
陰陽連絡線をショートカットとは呼べないでしょう😂
今庄駅は今でも峠越えの機関区があった名残で普通列車しか停まらないのにやたらと広い構内で、最近では駅舎に山越えの時代を紹介するコーナーがありますruclips.net/video/3jQbTe7EF6U/видео.html
ありがとうございます。廃駅で大桐という駅が特集されていましたがおそらく今庄の近くですよね。ぜひ拝見させて戴きます
古くは東海道本線(大津↔京都)も短絡線と云える。
ご指摘の通りです。時間の関係でテロップは載せさせていただきました。
作られた経緯から考えると仕方の無い部分もあるが、東北本線の新線は松島海岸にも駅を作って欲しかったと思う。(仙石線で行くと、松島海岸―観光用、高城町―町の中心部で松島駅と徒歩連絡可能。地元住民の通勤通学には現行の松島駅の方が便利だが、松島海岸駅の真裏を東北本線が通っている)
たしかにそう思います。松島海岸の真裏ですね。なぜそこに駅を作らなかったのか悔やまれます。さらには東北本線と仙石線は陸前浜田のあたりで並行しているのでそこに仙石東北ラインの分岐線を作るのかと思いましたが、松島駅の手前~高城町だったので驚きました。(電化設備の絶縁などの問題もあるのかもしれませんが)
@@TSUYOS185 戦争中の輸送力増強で作られた路線が観光対応を想定しないのは当然でも、戦後に方針転換しておけばと思います。松島海岸駅周辺は起伏が激しく、仙石線はホームの前後がトンネルになっており、東北本線は大きくカーブして崖を掘割で併走している。おまけに両線の間を県道が走っている状況であるので、東北本線側にホームを作る構想が実現しないんだとか。そして、これから松島海岸駅の東北本線側にホームを作るとなると、観光地のためバリアフリー対策が必要(出来れば線路を移設して島式ホームを作り、エレベーターを1基に抑えたい)なので、素人目で見ても大規模な工事になりそうで、出来上がりは改良前の埼京線渋谷駅状態。そして、地元住民用に東北本線直結の改札口(線路を移設して島式ホームが作れれば五日市線東秋留駅状態)も必要になりますね。東北−仙石連絡線は逆向きの回送線(地上駅時代の仙台駅仙石線ホームにDC臨時列車送り込みで使用?)が有った場所に作られたようです。関係者の話によると線路の距離が近い(近過ぎて交−直デッドセクションが作れなかった)上に高低差も殆ど無いので、あの場所以外は考えられないとのこと。
@@北の独居 さま戦後の東北本線は関東と東北各地や北海道を結ぶ重要路線で旅客も貨物もひっきりなしに通っていたことを考えると観光や地元輸送は仙石線に委ねたのかもしれませんね。今の土木技術を駆使してもあの山手に新しい駅を造るのは難しそうですね。仙石線に入るディーゼルカーや検測車は石巻から入っていたような気がするのですが意外なルートがあったのですね。松島に限らず日本三景というと景色が良く観光地として名高いところばかりですが、鉄道でのアクセスと言うとイマイチですね。松島は仙台から各駅停車だけ、宮島は広電か各駅停車。天橋立に至っては三セク化。さらにはいずれも高速道路が近くを通ります。通勤輸送や都市同士を結ぶなら鉄道の出番でも、観光も鉄道でとはならない時代ですね。
@@TSUYOS185 御本尊の仙石線松島海岸駅は駅舎建て替え・バリアフリー対応・ホームの1面2線から2面2線に改造工事中で、その際に東北本線側に手を出さなかったのが、工事困難な現状を表しているのかも知れません。なお、件の連絡線は保線車両の行き来を目的に作ったもの(道理でせせこましい感じだと思った)だそうで、ディーゼルカーや検測車が通れたかは不明(別チャンネルの動画によると電車は貨物として石巻にやって来る)です。
宝塚線の廃止区間は自動車道路としてつかえませんかねー?下道で三田の方宝塚方面行く時はいつも渋滞します。宝塚市街地渋滞は建物がいっぱいで道路拡幅工事難しいのは理解できますが、宝塚以西渋滞は旧宝塚線道路化と新設道路(乗用車only でもok!!)多少は解消されるのではと思う。
道幅を考えると少し難しいとは思いますが、一部でもいいので嵯峨野のようにトロッコ鉄道なんかいい思います。宝塚も近いので観光資源になります。
今は遊歩道になっていますね。鉄道路線を自動車道路にするには大幅な拡幅工事が必要なので厳しいでしょう。元々単線ならなおさらです。
そんな凄いの作らんでいいんですよ、乗用車専用で三田方面→宝塚でいいんですよ。列車より1~2トンの乗用車の方断然軽いので大した補強なんて必要ないです。アスファルトの舗装して信号も住宅や畑も無いので良いと思うんだけどなー?私は大型トラックで平日10時代に何回か通っただけなので、朝ラッシュはいつ・どんくらい混むのか?反対方面はいつ混むのか?がわかりませんが新深坂トンネルの自動車トンネル化で思い付きました。すいません勝手な事ばかり書きましたが、宝塚の山道と町の渋滞が印象に残ってたもので。
@@猫泥棒-q2x 単線規格の線路を片側1車線で交互通行の可能な道路にするのにも、大掛かりな拡幅工事は必要ですよ。単線トンネルの拡張工事も大変。既設道路の渋滞緩和を目的とする道路であれば、それは幹線系の道路となり、交互通行は必須でしょう。県道へ転用された旧北陸本線は有名で、内部ですれ違いできないためトンネルの出入り口に待合用の信号機があります。トンネルの断面が狭すぎて大型車両の通行が不可だったような(間違いであればすみません)。単線の線路跡がBRTも含めバス専用道路に転用されている事例はありますが、バス同士のすれ違いを行うための特別なスペースが要ります。
@Tom j さま私のイメージは乗用車専用の一方通行の西→宝塚ですね。トラックに必要なは3.8m車高だとトンネル掘りなおしたしなきゃいけないので乗用車専用ならトンネルも最低限のメンテでよいかなとおもいました。多分予想ですが朝は宝塚方面向かうのはめちゃくちゃ渋滞するかなと思って勝手に思い付き言っただけです。東名の大井松田〜御殿場も下り線は二車線二本で登り線は三車線一本なののパクリですね。
>野村監督の再生工場中田選手もそれを目指しての移籍でしょうね、敵は相手投手よりも無責任な野次のほう。
私は阪神の遠山選手を意識しました。打者でパッとしませんでしてが野村再生工場で松井秀喜キラーとして名を馳せました
御殿場線もそうですね。
はい。そのとおりです。終了時のテロップにて掲載しております。
根岸線は横浜駅を移転、スイッチバック解消による東海道線のショートカットにより旧横浜駅が行き止まりの桜木町駅となっていたのを桜大線として磯子、洋光台経由で大船で再度東海道線に接続させた逆ショートカット路線ですね。おかげで根岸の製油所から石油製品の鉄道輸送が可能となり、鉄道空白地帯だった○○台3駅の住宅開発が進みました。ちなみに計画時の駅名は矢部野(洋光台)、湘南日野(港南台)、新大船(本郷台)でした。
神奈川~保土ヶ谷は日本初のショートカット路線ですね。
私は篠栗線もショートカットして、博多(正確には吉塚)~直方を直結してると思う。これが無ければ折尾か原田経由になり、バスとの競争に勝てず、今の福北ゆたか線になりえ無かったかも知れない?
篠栗線が延長して、筑豊電鉄が福岡延伸を断念したっていう話もあるな〜。
岩徳線でたー、失敗例で来ると思ったw
新幹線の存在がショートカット
究極のショートカットですね。第二弾に入れさせていただきました。ありがとうございました。
@@heitetsu4649 関西本線が東海道本線のショートカット。
内子線の事例はもっと過去に遡る必要が有るんだがあと地図上は東北本線海岸線な。順序が逆で、海岸線の方が時間的な意味でのショートカット路線だな。函館本線のあれも新垂井もそう。
そのとおりです。もともとあったのがショートカット路線(というよりは計画線)ですが、勾配がきつく緩和させるために塩釜線や砂原線、新垂井線を敷設しました。全部軍事的な狙いなのでがっかりですが。
藤城支線は下り専用なので上り貨物列車は走りませんが…。それにトンネル技術や建築技術が発達して行ったのと同時に輸送力増強として迂回もあることから単純に成功と失敗で括りつけるのはどうかと思います。
私が失敗といいたいのは砂原支線です。あれだけ遠回りの路線を作りながら結局貨物も通らなくなり最近では普通列車しか通らず池田園、流山温泉、銚子口が廃駅となるようです。藤代支線はその延長線にあり両方で勾配を緩和することであれば成功ですが、上記のような結果となっています。
@@heitetsu4649 貨物も通らないって…ちゃんと函館方面への貨物は砂原回りですよ。それに砂原支線の建設は戦時中の輸送力増強と勾配緩和が目的だったはずです。そういったところに成功も失敗もないです。まぁ…わかったことはあなたがきちんと調べずに貨物すら通っていないとコメントしたことがしっかり検証していないことがバレたということですかね。なので低評価を押させていただきました。
最大級のショートカット路線の信越本線→上越線が入っていない。
北陸トンネル整備や倶利伽羅トンネル改築まで、名古屋〜富山間のショートカット機能を果たした高山本線も取り上げるべきかと。
八高線、相模線、上野東京ライン尾久駅回り青梅線の奥多摩から塩山駅バス接続(廃止)
八高線と相模線、横浜線の八王子~橋本は茅ヶ崎~高崎のショートカットにはなりますが特に文献は見当たりませんでした。尾久経由はたしかにそうですね。失礼いたしました。昔時刻表の索引地図を見ていた時関西にいたときに上野からにょきにょきと赤羽までまたぎながら見た路線を見てなんでこうなっているかがわかりませんでした。
そして西九州新幹線が開業するのか?
武雄温泉から長崎は確実です。武雄温泉から新鳥栖はフリーゲージトレインが失敗したので動向が不明です。
湖西線も京都から北陸方面へのショートカット路線かと。まあ新快速は米原経由と湖西線経由の両方があるので厳密に言うと「ショートカット」かどうかは謎ですが・・・
第二弾で湖西線に触れております。ご指摘の通り新快速で湖西線経由と米原経由で比較しましたが湖西線経由の方が18分程度早いです。
何しろ関西から北陸へのバイパス路線として国鉄側は湖西線の建設計画が持ち上がると、重複区間にあてはまる江若鉄道(浜大津~近江今津間約51㎞)を湖西線の建設用地へ転用させるため、1969年11月1日限りで廃止したそうです。これにより湖西線開業後の1975年3月10日の山陽新幹線博多開業を見据えたダイヤ改正では、急行「きたぐに」「ゆのくに」以外の関西対北陸の優等列車をすべて湖西線経由へ移行させ、当時の特急「雷鳥」でさえ15分の所要時間短縮が実現し、さらに今日の「サンダーバード」でさえ京都~敦賀間ノンストップ版では1時間もかからない約50分で直結するまでに至っています(さらにさらに朝晩の湖西線内における通勤輸送に特化した便では、京都~近江今津間を新快速よりも約15分短い33分で、特に45号は大阪~近江今津間を新快速よりも約20分短い1時間ぴったしで突っ走る)。
同じ山陽本線でも相生ー東岡山間は赤穂線ができてもメインルートだね赤穂線のほうが距離も短く勾配もなく沿線人口も多いのに
山陽線は、瀬野八以外は急勾配がない路線のですけど。
@@N--T 今はどうてことないですけど、上郡〜三石間にある船坂峠(播備国境)の勾配がSLには相当キツかったんです。山陽線が上郡を出て極端に北へ迂回してるのはそのためです。んで平坦な赤穂線を作ったはいいものの逆に駅が増えまくって所要時間が伸びてしまったというオチですね。
@@Banshyu_cats 上郡、三石間は10キロを超える駅間を誇っており山陽本線では異色の存在。それほどこのルートには人家がなく鉄道需要の無い所へ勾配緩和のための線路を敷いたという証左である。
最大の失敗は、横川ー軽井沢以外に無い。保津峡のように、観光路線で残す方法もあったのに。
確かにその可能性はあったのですが、1.碓氷峠の急勾配を登り下りするのに安全の為補助電気機関車が必要でかつ一駅間しかない為、(群馬県側で)三セク化しても経営上の重荷になりかねなかった(現在碓氷峠鉄道文化むらに保存しているEF63が横軽区間の補助電気機関車)。2.長野(行)新幹線(現在の北陸新幹線)が開業すると、横軽区間を通過する旅客の殆どが新幹線に移行する為、(群馬県側で)三セク化しても1.と合わさって採算が取れない恐れがあった(=同区間を通過する旅客の殆どが新幹線開業するまで運行していた特急あさま・特急白山の利用客)。その為横軽区間が現在路線バスで運行しているのです。
何が失敗したの?新幹線は碓氷峠を回避して正解だと思うな。
@@takashike 横軽区間は失敗というより最初から(群馬県側で)三セク化しなくて正解だったとしか言いようがないのが現状です。もし無理やり三セクするとなれば国鉄時代の段階で軽井沢駅自体の地下化を含めた長大トンネルによる勾配緩和改良をする必要があったかと思います。それに北陸新幹線ですら高崎~軽井沢の軽井沢寄りの勾配部分は他の新幹線より急な勾配で敷設されており、E7系・W7系(+長野新幹線開業当時のE2系)にはその勾配に対応した設計になっています。
@@kiha52iwate いまいち、何が失敗だったのかがよくわからない。北陸新幹線のおかげで短縮できたし、コストの割に需要がない一部路線を廃止できてコスト低減もできたし、北陸新幹線が長野方面に良かったと思う。
@@takashike 主は恐らく「横軽区間を観光路線化しなかったのが失敗」と思い込んでいるかと思います。自分の場合は、北陸新幹線の長野開業(当時は長野新幹線)と横軽区間の廃線(バス転換)は成功だと思っています。横軽区間の利用需要の殆どが新幹線に移行した状態で、観光路線化してたった一駅間だけ(群馬県側で)三セク化して存続出来たかと思うと正直「存続は出来ない」としか言いようがないと思いますよ、横軽区間の特殊性を考慮すると。
石勝線の功績!
石勝線は第二弾で特集いたします。現在制作中です。
@@heitetsu4649 お待ちしてます👍
もし第三弾があれば、白新線(新潟~新発田)もお願いします( *´艸`)1958年全線開業という新線でありながらわずかな移転等も多く、開業当時を感じさせる駅舎などが残っていないのは残念ですが…逆に沿線に多い農村集落は、集落を避ける様に宅地や団地開発がされた為、開業前どころか戦前に近い姿で現存しています。
白新線の件ありがとうございます。承知いたしました。
内子線は名前変えないのかな?笑
変えるべきだと思います。杓子定規に新谷から内子までは地方交通線の内子線、そこから先が幹線の予讃線、とするのが個人的には大嫌いです。片町線も片町がないのにいつまで経っても正式名称は片町線、札沼線も石狩沼田まで行っていないのに正式名称は札沼線?役所の頭の硬さには参ります。時代の流れにより正式名称なんて変化させることができない人たちなのです。
内子のあれ、地方交通線に成っちゃってるから、改善して欲しいとは思うが、
そうですよね。伊予大洲~新谷 予讃線(幹線)新谷~内子 内子線 地方交通線、内子~向井原 予讃線(幹線)こんな杓子定規なことはやめていただきたいですね。なんか国鉄か役所のつくる規定みたいなフレキシビリティ皆無な規定です。全部予讃線にして運賃計算も1割増しはやめてもらいたいですね。優等列車はみんな内子経由となっっており詐欺みたいな感覚を受けます。であれば遠回りの「愛ある伊予灘線(伊予長浜経由)」を地方交通線に降格するべきです
これも1980年代成立の国鉄再建法を基準に40年以上モノサシを変えていない弊害です。中国地方で過去貨物で儲かっていたものの荷主が鉄道貨物を見放した美祢線が幹線で、JR化後に国道渋滞で実績を伸ばした可部線が地方交通線という逆転現象が生じています。
全体的に動画のテンポが悪い
店舗?(笑)
垂井線もそうですね。
垂井線は勾配がきつく、戦時中に勾配緩和のため新垂井線を敷設しましたが下りの垂井線の線路剥がされたのですね。戦後に復旧したみたいです。新垂井線から見れば垂井線はショートカット路線です
11:00「北陸線に新疋田駅があるのに疋田駅は日本中どこを探してもない」と気付いている人多いはず。
14:20 岩切から「北上(ほくじょう。きたかみじゃねーぞw)」じゃないかな?
旧線、利府駅から少し走った所から勾配が有ったとか。
その路線で烝機の乗務をしていた友人の身内(お召にも乗務)曰く「登りきれずに一旦下りて再出発した事が度々」だそうな。
福知山線がまだ単線の時大阪から博多まで特急まつかぜ号が走っていました。
福知山線の旧線、山陰本線の嵯峨野トロッコ列車みたいに仕立て直し出来なかったの、残念ですね。
北陸本線の杉津、風光明媚で、岡﨑鼻の景色は日本有数の名シーンでした。
ショートカット路線と言えば水戸線を思い出しましたが取り上げてませんね。
東北本線で東京方面からだと小山駅でスイッチバックをしないといけないために貨物列車の運行に支障をきたしていたために1950年に小山駅南部に小山駅を回避する短絡線がつくられた。
この短絡線は貨物列車のみならず急行「つくばね」にも運用された。
しかし1985年に急行つくばねが廃止されると全然使われなくなり2006年に完全に撤去されて廃止された。
時刻表に記載されていた間々田と小田林の間の短絡線ですね。1975年の時刻表には短絡線と「急行つくばね」はくっきりと残っております。上野発16:40 短絡線を経由して結城の1750に到着してそこから普通扱いとなり勝田1905分着ですね。車両は何を使っていたのでしょうか。
和歌山線田井ノ瀬以西のように、貨物短絡線が本線に昇格し、元の路線が最終的に廃された例もありますね。
急勾配回避のためにわざと遠回りの迂回路線を建設する例もある。
大変よい勉強✏️になりました。
山陽新幹線は運賃を 岩徳線経由で移動したものとみなして計算してました。
国鉄時代は紀勢本線のショートカットという役割を生かす事が出来ずに廃止され
3セクになって本領を発揮した「伊勢線→伊勢鉄道」もありますね。
伊勢線は現第三セクタなので除外いましましたが北越急行、智頭急行、井原鉄道秋田縦貫内陸鉄道など国鉄未成線もそれに相当しますのでそこも含めた形で再特集したいとと思います
@@heitetsu4649 さん
その場合は 阿武急は失敗例?
というか 造るのが遅かった😅
そのとおりだと思います。阿武隈急行は東北新幹線が開通する前の在来線全盛期に丸森線延伸として国鉄として開業したら違っていたかもしれません。槻木駅へ行く用事がありましたが乗車シている人はそんなにいなかったでした
伊勢線は、紀勢線の別線として名前付けなければ三セクにならなかったんでしょうね
@@シュウ-y2p さん
おそらくそうでしょうね。
独立した路線故に収支係数も単独で弾かれてしまうからそうなってしまう訳ですが
東海地区の国鉄は 岡多線に伊勢線と
やりようによっては稼げる路線を活かせずに手放してしまいましたね。
岡多線なんか 現在の愛環よりも本数が遥かに少なかったし。
コメントでやたら指摘が多いが、なぜ添田線がショートカット路線だといえるのか疑問
あと利府支線はショートカット扱いするには解釈が分かれそう
一番最初に岩徳線が頭に浮かびました
そうですね。岩徳線は運用面のショートカットは失敗しましたが運賃計算で使われるショートカット計算は乗客にとって成功ですね。
動画の視聴もショートカットしようかと思いましたが、2倍速でやり過ごして時間短縮ができました。
筑肥線の二つの事例も紹介してほしかったです。ひとつはショートカットというか市街南部を迂回していた国鉄を廃止して都心をダイレクトで経由する地下鉄に置き換え、さらに旧来の姪浜以西を直流電化したうえで九州唯一の相互直通運転を行うものになったもの。
もう一点は唐津市内でスイッチバックなどをしていた旧ルートを相互直通運転に備えて高架化し唐津市内、唐津市街を一直線に結ぶルートにショートカットしました。
はい。実は当チャンネルの「同一路線の光と影 筑肥線」でとりあげております。ruclips.net/video/MiTX9byKYi4/видео.html
ただしこのショートカット路線の趣旨にも合致しますのでこの動画のダイジェストを次回の第二弾の中に入れさせていただきます。
ありがとうございました。
四国の内子線の海線は下灘経由の観光路線に、山線は特急街道に転身した稀に見る成功体験です
他は自然災害との格闘の末生まれた短絡線で、土惨本線とも揶揄された時期がありました
確かに土讃線は大歩危あたりや窪川手前の土佐久礼あたりは大雨による災害が多そうですね。ありがとうございました
四国は国鉄が「今治」を重視しすぎて、伊予小松〜横河原間で短絡線を作らなかったり、高規格の阿佐海岸鉄道やごめん・なはり線を活用せず、土讃線の急曲線解消(ショートカットと逆ですが)をしなかったりしていますね。
@@МасаёсиХаяси 確かに今治は今も昔も瀬戸内地方の要ではあります。
とはいえ国鉄の政策も中央集権すぎて、地方の現状と乖離してしまっている部分が多くありましたね。
国鉄に買収された軽便の宇和島鉄道、愛媛鉄道と国鉄が見向きもしなかった伊予鉄横河原線・郡中線の差異が顕著と感じます。
@@МасаёсиХаяси 古くから今のJR四国があれば、また違った今だったかもしれませんね
内子線に憑いては、多少は思う所が有るんだけれど?、海線を割高な運賃計算にと、内子線は割安な運賃計算に編入してほしいとは思うけれども?、
なぜ予讃線の桜三里線は建設されなかったのだろう。高度経済成長期の技術ならできたはずなのに。
私鉄ですが、名鉄名古屋本線の名古屋-一宮間は開業当初は岩倉経由の東一宮までの路線だったので、これも広い意味ではショートカット路線になりますね。
奈良市民にとっては、大軌(=近鉄奈良線)の開業がショートカット路線の位置付けですね。
最近では、平城京跡を迂回するというショートカットに逆行する計画が検討されていますが、奈良市民の方々はどう思われているのでしょうね。
平城京跡は史跡探索技術が発展してなかったので国も認可して大阪電気軌道が敷設したらしいです。だから近鉄を責めても認可した国の責任が問われるので費用の負担がすったもんだしたみたいです。今回は大和西大寺の平面交差スパゲッティー路線の解消、高架、迂回全てセットで行うらしいです。朱雀大路駅と油阪駅が新設されますが、油阪駅はxx年ぶりの復活となります。2040年開業予定。気が長くなる話ですね。
国鉄路線のショートカットの民鉄線もネタになりますね。
名鉄名古屋本線、京急本線、小田急小田原線、近鉄京都線、琴電琴平線あたりが成功例、
新潟交通線、加越能鉄道加越線、長野電鉄河東線、京福電鉄越前本線、琴平急行電鉄あたりが廃線の憂き目例
二極の中間で近江鉄道本線、近鉄南大阪・吉野線といったところかと感じる。
むかし(少なくとも40年以上前)雑誌で、ポイントの切替ミスで山陽本線の特急電車が岩徳線に進入して動けなくなったという記事を読んだことがあるのですが・・・
そこまで急いでいたのか、特急・・・・
新幹線もショートカット路線かな。東海道新幹線は東海道線の営業キロで運賃が決まるし、名実ともに東海道線のショートカット路線。
はい、多くの方からもいただいております。ネタバレしますが制作中です
@@heitetsu4649 東海道新幹線は東海道本線の別線扱いで、東京から新大阪までの東海道本線の552.6kmを515.4kmを552.6kmに短縮しています、
@@psychedelicraspberry517 現在においても、東京から新大阪の東海道新幹線の運賃は、在来線の東海道本線が基準になっており別線です。東海道新幹線は独立した路線扱いになっていないです。
裁判でも揉めて、今のところは、東海道新幹線は東海道本線に増設された路線という扱いが維持されています。
@@psychedelicraspberry517 新下関と博多は山陽新幹線かな。確か、山陽新幹線は山陽本線とは別の独立した路線として、運賃を計算していたと思います。
丸森線のこと話している人いないのびっくり
アレも元々越河峠を迂回するための短絡線として計画されたのに(なお意味なくなった模様)
阿武隈急行を言われた方はおり、今回制作中です
東海道本線のショートカット(バイパス)として中央本線が作られたという例もありますね
東海道本線が砲撃された場合に備えて中央本線を敷設したと書かれておりました。東海道本線が名古屋~東京が在来線で366km、中央本線が名古屋~塩尻の中央西線が174.8km 東京~塩尻の中央東線が222.1kmで合計 396.9kmショートカットになっていませんね。これ塩嶺トンネル経由の距離なので大八廻りの場合はもっと距離があったことになりますね。
JRの「ショートカット路線」の失敗作ワースト1位はJR大網駅の西寄り移転と外房線の短絡化と思います。
理由はこのショートカット実施で外房・内房線を一周して蘇我駅に戻る際に車両の向きが反転して総武地下線の保安装置に支障が生じたため、房総一周の観光定期特急や観光定期快速ができなくなったからです。スピード重視のあまり鉄道の面白みや優雅さを喪失した典型例と感じます。
大網駅のスイッチバック解消は究極の失策と思うが、逆に塩尻駅のスイッチバック解消は良策だと感じる。
戦前、戦中は旧陸軍がなるべく海側を避けたかった経緯がありますね。艦砲射撃を嫌ったためです。岩徳線なんかも戦略的な意味もあったのではないでしょうか。
その通りです。海岸線を迂回しない分、距離短縮もでき有利と考えられたのですが、岩国を無視した路線設定に無理があったようです。
>岩国を無視
これは、岩国駅のある麻里布を無視ということですね。麻里布は現在の三井化学が出来てから発展した場所です。
元々の吉川氏の岩国城下町は西岩国駅の方が近く、岩徳線はむしろ「岩国に寄せていて」、岩徳線開通前の「いちすけ路面電車」を代替しています。
☆ 旧国鉄添田線は是非お願いします。元々ショートカットのための路線ではなかったのに結果的に運賃計算上そうせざるを得なかったという経緯、未成線のままトロッコ部分だけ残った油須原線の悲劇に加え、日田彦山線の鉄道線としての短縮の結果、新たな「添田線」がJR九州に誕生するかもという悪寒まであるので。
添田線のルートは元々小倉鉄道が開業させたもの。
現在日田彦山線の一部となっている香春から田川伊田や田川後藤寺を通るルートの大元は豊州鉄道→九州鉄道によって造られ、国有化後に「田川線」と呼ばれました。
小倉鉄道が鉄道省に買収され「日田線」の一部になり、その後「日田彦山線」の成立後に日田線から分離されたのが「添田線」となりなす。
仰る通りショートカット目的で造られた訳ではありません。
第二弾で特集しました。切り離した相手方の日田彦山線も部分的(添田~夜明)には添田線と同じ運命をたどることになりました。添田からというくくりが添田線の怨念かもしれません
添田線の類似例として、長井線の赤湯〜今泉間もありますね。
米沢のような人口集積地を抱えなかったため、新潟〜山形間の短絡ルートとして機能せず、三セク化されました。長井線は、山形新幹線実現に際して、左沢線と結んだ狭軌バイパス線が検討されなかったオマケがあります。
3:39 39-19が30?
自分はショートカット路線といえば日田彦山線(香春~添田)と添田線でしょう日田彦山線のショートカットとして建設されましたが日本1の赤字線を美幸線と争っていました
朝と夕方しか運転されませんでした元々人口が少ないところを通るので仕方ないことですが
途中の大任ではあの有名な未成線柚須原線(完成立95%)と連絡する予定でしたがそれも夢となりました 仕方のないことですがぜひ両方とも乗車してみたかったです
添田線に関しましては他の方からもたくさんのリクエストが来ておりますので現在制作中の第二弾で入れております。すでに時刻表も調査しましたが仰る通り朝夕だけでした。
伊勢鉄道は第三セクターだから本動画の趣旨から外れるかもしれないけど、もともと国鉄の路線だから取り上げてもよかったのでは。
第二弾でご紹介させていただきました。よろしくお願いいたします
@@heitetsu4649 動画拝見しました。ありがとうございました。
3:36 39-19=30?
あと札幌ー帯広間を2時間以上短縮した石勝線を取り上げて欲しかった...
岩徳線は今の土木技術なら成功してたでしょうね。
山陽新幹線は岩徳線の思想の生まれ変わりだと思います
そうですね。岩徳線は時期尚早といった方がいいと思います。今だったら完全にショートカット路線になっています。
国道2号、山陽自動車道も同じルートですね
もし仮に岩徳線が作られていなかったら、今となっては長距離旅客の時間短縮目的なら新幹線があるからもういらないってことで、あの路線は未来永劫作られることもなかったでしょうね。
岩国下松間の道路も以前に比べてバイパスが整備されているし、山間の道なので信号のある交差点もそれほど無く、元々渋滞もほとんど無い道なので、マイカーが普及した現在ではあの区間近辺の移動だけなら車を選択する人が大多数ですし。
車が無いと生活に支障が出るような地域なので、多くの世帯がマイカーを持っていますからね。
現状においては通勤は車を使う人が大半なので、主に通学の利用者のために赤字でも廃線にできないといったところでしょうか…
しかし、今後通学客も減るだろうし、貨物にも使えない岩徳線はもういっそ廃線にして、替わりに国道2号線のバスの本数を多少増やした方が、JRにとっては赤字路線の運行をしなくて済むし、バス会社の防長交通にしても利用者がいくらか増えて助かるんじゃないかと個人的には思います。
米川駅だけ2号線から外れているので、そこにバスが立ち寄るようにすれば、今と比べて困る人も少ないでしょうし。
バスだと鉄道と比べて運賃はちょっと高くなるし、所要時間も増えるかもしれないけど、通学のために数駅間程度乗車する利用者への影響はそんなに大きくはならないと思いますので。
岩徳線を廃線にした場合の新幹線の運賃計算も、JR西日本がよろしくやってくれる、と思いたい…
山陰本線は昔の方が保津峡沿い走っていたので良かったです。
長崎本線の肥前山口~諫早もショートカット路線になるのでは?昭和初期のショートカット路線として丹那トンネル、岩徳線と同時期に完成しています。
かつては早岐経由だったものを有明海沿いに変えたもの。来年の秋には西九州新幹線が部分開業してそちらもローカル線になりそうですが。
そうですね。おっしゃる通りです。抜けておりました。長崎本線の初期は肥前山口~早岐~大村~(連絡船)~長崎?でしたが有明線を建設して肥前山口~早岐が佐世保線に、早岐~諫早が大村線になった経緯がありました。今一つ納得いかないのが西九州新幹線が完成したとき平行在来線が長崎本線の有明線にあたる部分の肥前山口~諫早ですが、実際に結構離れております。大村線の方が平行在来線になるはずなのですが。線名の整合がだけですね。鹿島市がもめたのはこういったこともあるのでしょうか
@@heitetsu4649 さま
大村線は既に福岡と長崎のルートから外れており、元の有明線が今は長崎本線で特急が走っていることから肥前山口~諫早が平行在来線と見なされたのでしょうね。
鹿島市は特急が無くなるので新幹線を作るなと言っておりましたが結局はJR九州が23年間運転を継続することで合意しています。
ただ、大村線を並行在来線とすると言う理論なら九州新幹線の本当の並行在来線は肥薩線になってしまいそうですね。昨年の豪雨による被災で今後の復旧が出来るかどうか危ぶまれていますが。
今、北陸新幹線絡みで湖西線が揉めてますね。
こちらも、狭軌の「小浜線+小鶴線」による京都〜若狭間のショートカットがポシャって、北陸新幹線でショートカットが実現しますね。
急勾配を緩和させ輸送力の改善を図る目的で造られた遠回り別線として、九州内では
鹿児島本線 八代~鹿児島 ← 現:肥薩線+日豊本線(隼人~鹿児島:ここも過去に「肥薩線」を名乗った経緯あり)
長崎本線 肥前山口~諫早 ← 現:佐世保線(肥前山口~早岐)+大村線 *早岐~佐世保のみ当初より「佐世保線」
が知られています。どちらも路線名称の変更を伴う大掛かりなプロジェクトです。
ありがとうございました。長崎本線がもともとは肥前山口~武雄~早岐~大村が長崎本線で大村から船で連絡していた時代があり有明線ができて佐世保線と大村線に名を変えたのは知っております。これも輸送力改善で有明線ができたと思います。蒸気機関車が中心の時代で勾配に弱いことから迂回路線は必要でしたです。肥薩線の大畑のスイッチバックは蒸気機関車がもくもくと煙を吐いていたビデオをみたときは無煙化が必要と思いました。
智頭急行も岡山〜鳥取間の視点では、遠廻りの輸送改善線となりましたね。
明治期の山岳路線は、だいたい何らかの改良をしているみたいですね。平野部でも作りやすいとこから作ったところが多いかも。
明治期の敷設は渓谷沿か海ギリギリの海岸沿で出来る限り勾配を避けたところが多いですね
国鉄関西本線 ・紀勢本線に対する伊勢線(ショートカット)が有った。今は会社が別だが。
8:40 大八廻りを通しで運行する列車は残っていますよ。岡谷8時10分発信濃大町行きの155Mが該当します。ちなみに岡谷~塩尻の所要時間は36分です。
国鉄時代の流れだと智頭急行や北越急行、阿武隈急行なんかもそうですね。
丸森線は建設中に状況が変わっていらない子にされた
ああそういえば
根室線の富良野〜滝川、石勝線もそうなりまりね
根室線はバイパス線がバイパス線に駆逐されることに
その通りです。第二弾はそのことについて触れております。
信越線のショートカット路線として、上越線もぜひ候補の中に入れていただけると嬉しいです。
お待たせいたしました。第二弾で特集いたしました。よろしくお願いします。
長崎本線の市布経由(電化された新線)と、長与経由(非電化旧線)だと、
市布経由の途中駅は、市布・肥前古賀・現川の3駅です。長与経由の途中駅は、
東園・大草・本川内・長与・高田・道ノ尾・西浦上の7駅です。
長与経由の普通列車が、長崎駅を先に発車しても、途中の停車駅が多いため、
諫早駅に速く到着するのは、長崎駅を後に発車した、途中の停車駅が、
僅か3駅しか無い、市布経由の普通電車になります。
自分が乗った時は長与経由はかなりの距離がありました。だから市布経由の長崎トンネルでかなりのショートカットができました。現川駅の真ん中の単線だけ通過線で両サイドに待避線がある線形もすきですね。でも長崎~高田~長与は長崎の市街地を通っているのでお客様はかなり多かったでした。
内子線についてはおそらく中途半端だったものを前線開業したまでだと思う。
まさかの新垂井線スルー
よくここ通るので馴染み深いんやけど
せめて名前くらい出してやってくれよ
新垂井あったころに乗りたかった
第二弾の4.迂回路線のテロップに入っております。垂井線がショートカットで新垂井線は貨物輸送の勾配緩和の迂回路線ときいております
岩徳線は確かに失敗したが、山陽新幹線、山陽道、国道2号はほぼ岩徳線に沿っていますね。
岩徳線は運用面では失敗しましたが、運賃計算ではショートカットできて成功だと思います
この動画でいわれている趣旨とは異なるものの
国鉄佐賀線(廃止)はどうなの?これこそ本来のショートカット路線でしょう。
動画で紹介されている前半の特に福知山線あたりは、従来線路の線形の改良を目的としたあるいは電化に伴う「バイパス」/「線路切替」であって
それらが「ショートカット」と呼ばれるのに対し、自分は違和感を覚える。
ショートカットといえるのは、北海道でいえば石勝線、三重県の伊勢鉄道のような位置付けにあるものと考える。
ご指摘の通り石勝線や湖西線もそれにあたりますが今回は路線の一部の改良に絞り第三セクタの伊勢鉄道は除外しました。線全体のものは次回特集したいと思います。ただ失敗の項目では路線全体の岩徳線を上げましたので矛盾を生じます。
低規格すぎて、ショートカット非機能の例として飯山線、越後線、太多線(+高山本線)の例を取り上げてはどうでしょうか?
岩徳線は経路特定区間で山陽新幹線・山陽本線・岩徳線を利用しても最短の岩徳線経由で運賃が計算されるのである意味成功かなと😅
おっしゃる通りですね。岩国と櫛ケ浜、山陽新幹線は岩徳線経由の運賃ですね。運賃計算の意味では成功かもしれません。
@@heitetsu4649
ただ、岩徳線が地方交通線なので山陽新幹線に乗る場合でも営業キロより割増の運賃計算キロで計算されるのはありますが😅
御殿場線→東海道線丹那トンネル
信越線→上越線
根室線(今の富良野線)→根室線→石勝線
紀勢線→伊勢鉄道
は有名な短絡線ですね。
ありがとうございます。御殿場線はこの動画の最後、上越線、石勝線、伊勢鉄道は第二弾で特集させていただきました
03:38 短縮時間は20分の間違い?
失礼いたしました。20分が正解です。
最初に長崎本線、最後に函館本線を持ってきておもしろいです。👍
ありがとうございます。函館本線は逆パターンなので失敗の方がふさわしいとおもいました。
特急がキハ82だった頃は上りの大半の優等列車が砂原線経由でした。はまなすやエルムも砂原線経由。急勾配を避けるためには特急すら遠回りしていました。北斗星だけはDD51の重連だったために大沼公園経由。
今となっては乗っとけばよかったなと思います。
ここを乗っていないがために北海道にもう一度行かなきゃ(笑)
上りのトワイライトエクスプレスは砂原線経由でした。
私鉄を含めていいなら、京成本線に対する成田スカイアクセス線が最初に思い付きました。
今の横浜駅もショートカットのための移設になりますかね。
中央本線の 岡谷-塩尻 間
旧線 新線 共に いいですよ
特に、旧線の川岸駅が、良いですよね。
川岸駅はほのぼのとします。あの区間は飯田線と一体なので飯田線と勘違いします
テーマを見て一番に思い浮かんだのは旧添田線だった
添田線のルートは元々小倉鉄道が開業させ、小倉鉄道が鉄道省に買収された後「日田線」となりました。
現在日田彦山線となっている田川伊田や田川後藤寺を通るルートは豊州鉄道→九州鉄道によって造られ、国有化後に「田川線」と呼ばれた一部になりました。
結局、田川側のルートは現在の「日田彦山線」に組み込まれ、日田彦山線の成立とともに日田線から分離されたのが「添田線」となりなす。
経緯が複雑すぎて、ショートカットとは単純にいえないと思います。
第二弾で入れるときに経緯を調査いたしましたら最初から小倉鉄道が南小倉(今はない)から城野をクロスして添田まで建設したそうです。ところが豊州鉄道→九州鉄道が敷設した路線を国有化したときに日田線(日田彦山線)を後藤寺経由に算入させて香春から添田(今任経由)を添田線に切り離したみたいです。実際時刻表でみると17分程度添田線の方が速いみたいでした。ありがとうございました。
ショートカットとして成功した路線に共通して言えるのは、
車窓が悪いことです。
ですので乗り鉄の私にとっては失敗です。
であれば新幹線はほとんど失敗ですね。山陽新幹線の大半はトンネルです。
鉄建公団がつくった路線はそういう意味ではほとんど失敗ばかりですね。
十中八九ほぼトンネルばかりになる。
中央線と東海道線をショートカットするつもりで作られたのに全く役目を果たしていない城北線。
ただし今後の計画次第で中央線と名古屋駅をショートカットする路線に変貌する可能性あり?
城北線は貨物やJRの優等列車を通せば活用されるはずですが、当時のJR東海の社長(須田寛氏?)が難色を示したと書いておりました。あの高規格路線を気動車1台が複線で名古屋の近郊を走っているのはいつも違和感を感じます。
JR貨物が愛知環状鉄道と共に、東京方面から名古屋貨物ターミナル駅への稲沢駅でのスイッチバック解消のためにテコ入れすればよいのに…
う~ん。ショートカットの解釈は人それぞれでなかなか難しい課題ですね。
国鉄時代からの計画路線としては、智頭急行線でしょう。関西から鳥取までの所要時間を大幅に短縮した効果は大きい!今回の趣旨からは外れますが。
第二次世界大戦直後の山陰線は、優等列車もなくて、鳥取から京都まで9時間かかったそうですからね。
そのとおりです。難しいです。今回のテーマはかなり解釈が広がると予想しておりました。智頭急行や北越北線(北越急行)、井原鉄道なども言えばショートカット路線となります。秋田内陸縦貫鉄道も阿仁合線と角館線をくっつけてショートカットさせようと計画されました。国鉄、JRでいえば湖西線や石勝線、御殿場線もその部類にはいります。広範囲に渡ることがわかりましたのでやはり第二弾で特集しようと思います。ありがとうございました。
広い意味では、三重から奈良中心部に向かう場合、関西本線がショートカット、近鉄線が迂回路線と見ることも出来ますが、運用でJRが負けていますね。
亀山以西が電化されていないこと、そもそも単線であることに加え、歴史的に近鉄の営業が成功していることが、国鉄→JRでの運用が今一つな原因でしょう。
関西鉄道は省線に対抗するためショートカット路線を建設した経緯はございます。国有化以降、複線電化の近鉄に大いに水を開けられました
@@heitetsu4649 関西鉄道は官営鉄道と熾烈な競争をしたため、国有化したのちも継子扱いされている。別に省線に対抗してショートカット路線を建設したのではなく本来の東海道の街道筋にそって路線建設しただけであり、名古屋から亀山、柘植、貴生川を経由して草津に抜けるのが東海道である。
近鉄が迂回なのは、鉄道許認可権限を握っていた鉄道省をかわすため、前身の参宮急行電鉄が局地鉄道が持っていた路線免許を次々手に入れ、数珠つなぎした成果です。
このノウハウが東名間でも実現しなかったのが残念。最終的には神宮前〜辰野間で5私鉄で繋がっていたのですが…明治の金満家は中山道幹線を政府が建設できなかった「負い目」をもっと利用できなかったのでしょうか???
人口が少ない方にショートカット路線造ると乗る人居なく成る問題も有る。
まさにそうです。国鉄時代に作られた添田線がまさにそれです。今回は路線の一部の改良ですが次回特集したいと思います。
タイトル見た時には、絶対添田線が出てくるだろうと思ってましたが。。。
第二弾にあります。よろしくお願いいたします。
@@heitetsu4649 ちょうど見つけてみていたところです(;゚∀゚)。ちょうど昨日アップされたんですね。
瀬戸大橋線も宇多津以西に対しては宇野線、宇高連絡船、予讃線をバイパスする成功したショートカット路線だと思う。
東北本線は後からショートカットをしたわけではないのでここに当てはまらないのでは?
そうですね。ショートカットをするつもりでつくったわけではないです。勾配がきついから海線に付け替えました。失礼いたしました。
陰陽連絡線だったのに廃止された三江線は?
三江線は口羽と浜原の間は宇津井駅のような高架の駅もあり線形もいいのですが、旧三江南線や旧三江北線の線形は蛇行のような感じなので陰陽連絡線の役割を果たさなかったと思います
個人的には粕淵〜大田市間に三江線の支線が「第3のほくほく線」として建設されていれば、陰陽連絡路線として機能したと感じます。
で、「第2」はというと、私的には中呂線(中津川〜下呂)。中呂線がほくほく線規格でできれば、飛騨川沿いに急曲線の多い高山本線の代替線となり、中部横断路線として機能できたと感じる。
陰陽連絡線をショートカットとは呼べないでしょう😂
今庄駅は今でも峠越えの機関区があった名残で普通列車しか停まらないのにやたらと広い構内で、最近では駅舎に山越えの時代を紹介するコーナーがあります
ruclips.net/video/3jQbTe7EF6U/видео.html
ありがとうございます。廃駅で大桐という駅が特集されていましたがおそらく今庄の近くですよね。ぜひ拝見させて戴きます
古くは東海道本線(大津↔京都)も短絡線と云える。
ご指摘の通りです。時間の関係でテロップは載せさせていただきました。
ご指摘の通りです。時間の関係でテロップは載せさせていただきました。
作られた経緯から考えると仕方の無い部分もあるが、東北本線の新線は松島海岸にも駅を作って欲しかったと思う。(仙石線で行くと、松島海岸―観光用、高城町―町の中心部で松島駅と徒歩連絡可能。地元住民の通勤通学には現行の松島駅の方が便利だが、松島海岸駅の真裏を東北本線が通っている)
たしかにそう思います。松島海岸の真裏ですね。なぜそこに駅を作らなかったのか悔やまれます。
さらには東北本線と仙石線は陸前浜田のあたりで並行しているのでそこに仙石東北ラインの分岐線を作るのかと思いましたが、松島駅の手前~高城町だったので驚きました。(電化設備の絶縁などの問題もあるのかもしれませんが)
@@TSUYOS185 戦争中の輸送力増強で作られた路線が観光対応を想定しないのは当然でも、戦後に方針転換しておけばと思います。
松島海岸駅周辺は起伏が激しく、仙石線はホームの前後がトンネルになっており、東北本線は大きくカーブして崖を掘割で併走している。おまけに両線の間を県道が走っている状況であるので、東北本線側にホームを作る構想が実現しないんだとか。
そして、これから松島海岸駅の東北本線側にホームを作るとなると、観光地のためバリアフリー対策が必要(出来れば線路を移設して島式ホームを作り、エレベーターを1基に抑えたい)なので、素人目で見ても大規模な工事になりそうで、出来上がりは改良前の埼京線渋谷駅状態。そして、地元住民用に東北本線直結の改札口(線路を移設して島式ホームが作れれば五日市線東秋留駅状態)も必要になりますね。
東北−仙石連絡線は逆向きの回送線(地上駅時代の仙台駅仙石線ホームにDC臨時列車送り込みで使用?)が有った場所に作られたようです。関係者の話によると線路の距離が近い(近過ぎて交−直デッドセクションが作れなかった)上に高低差も殆ど無いので、あの場所以外は考えられないとのこと。
@@北の独居 さま
戦後の東北本線は関東と東北各地や北海道を結ぶ重要路線で旅客も貨物もひっきりなしに通っていたことを考えると観光や地元輸送は仙石線に委ねたのかもしれませんね。
今の土木技術を駆使してもあの山手に新しい駅を造るのは難しそうですね。
仙石線に入るディーゼルカーや検測車は石巻から入っていたような気がするのですが意外なルートがあったのですね。
松島に限らず日本三景というと景色が良く観光地として名高いところばかりですが、鉄道でのアクセスと言うとイマイチですね。
松島は仙台から各駅停車だけ、宮島は広電か各駅停車。天橋立に至っては三セク化。さらにはいずれも高速道路が近くを通ります。
通勤輸送や都市同士を結ぶなら鉄道の出番でも、観光も鉄道でとはならない時代ですね。
@@TSUYOS185 御本尊の仙石線松島海岸駅は駅舎建て替え・バリアフリー対応・ホームの1面2線から2面2線に改造工事中で、その際に東北本線側に手を出さなかったのが、工事困難な現状を表しているのかも知れません。
なお、件の連絡線は保線車両の行き来を目的に作ったもの(道理でせせこましい感じだと思った)だそうで、ディーゼルカーや検測車が通れたかは不明(別チャンネルの動画によると電車は貨物として石巻にやって来る)です。
宝塚線の廃止区間は自動車道路としてつかえませんかねー?
下道で三田の方宝塚方面行く時はいつも渋滞します。宝塚市街地渋滞は建物がいっぱいで道路拡幅工事難しいのは理解できますが、宝塚以西渋滞は旧宝塚線道路化と新設道路(乗用車only でもok!!)多少は解消されるのではと思う。
道幅を考えると少し難しいとは思いますが、一部でもいいので嵯峨野のようにトロッコ鉄道なんかいい思います。宝塚も近いので観光資源になります。
今は遊歩道になっていますね。
鉄道路線を自動車道路にするには大幅な拡幅工事が必要なので厳しいでしょう。
元々単線ならなおさらです。
そんな凄いの作らんでいいんですよ、乗用車専用で三田方面→宝塚でいいんですよ。列車より1~2トンの乗用車の方断然軽いので大した補強なんて必要ないです。アスファルトの舗装して信号も住宅や畑も無いので良いと思うんだけどなー?
私は大型トラックで平日10時代に何回か通っただけなので、朝ラッシュはいつ・どんくらい混むのか?反対方面はいつ混むのか?がわかりませんが新深坂トンネルの自動車トンネル化で思い付きました。
すいません勝手な事ばかり書きましたが、宝塚の山道と町の渋滞が印象に残ってたもので。
@@猫泥棒-q2x 単線規格の線路を片側1車線で交互通行の可能な道路にするのにも、大掛かりな拡幅工事は必要ですよ。単線トンネルの拡張工事も大変。
既設道路の渋滞緩和を目的とする道路であれば、それは幹線系の道路となり、交互通行は必須でしょう。
県道へ転用された旧北陸本線は有名で、内部ですれ違いできないためトンネルの出入り口に待合用の信号機があります。
トンネルの断面が狭すぎて大型車両の通行が不可だったような(間違いであればすみません)。
単線の線路跡がBRTも含めバス専用道路に転用されている事例はありますが、バス同士のすれ違いを行うための特別なスペースが要ります。
@Tom j さま
私のイメージは乗用車専用の一方通行の西→宝塚ですね。トラックに必要なは3.8m車高だとトンネル掘りなおしたしなきゃいけないので乗用車専用ならトンネルも最低限のメンテでよいかなとおもいました。
多分予想ですが朝は宝塚方面向かうのはめちゃくちゃ渋滞するかなと思って勝手に思い付き言っただけです。
東名の大井松田〜御殿場も下り線は二車線二本で登り線は三車線一本なののパクリですね。
>野村監督の再生工場
中田選手もそれを目指しての移籍でしょうね、敵は相手投手よりも無責任な野次のほう。
私は阪神の遠山選手を意識しました。打者でパッとしませんでしてが野村再生工場で松井秀喜キラーとして名を馳せました
御殿場線もそうですね。
はい。そのとおりです。終了時のテロップにて掲載しております。
根岸線は横浜駅を移転、スイッチバック解消による東海道線のショートカットにより旧横浜駅が行き止まりの桜木町駅となっていたのを
桜大線として磯子、洋光台経由で大船で再度東海道線に接続させた逆ショートカット路線ですね。おかげで根岸の製油所から石油製品の
鉄道輸送が可能となり、鉄道空白地帯だった○○台3駅の住宅開発が進みました。ちなみに計画時の駅名は矢部野(洋光台)、湘南日野
(港南台)、新大船(本郷台)でした。
神奈川~保土ヶ谷は日本初のショートカット路線ですね。
私は篠栗線もショートカットして、博多(正確には吉塚)~直方を直結してると思う。これが無ければ折尾か原田経由になり、バスとの競争に勝てず、今の福北ゆたか線になりえ無かったかも知れない?
篠栗線が延長して、筑豊電鉄が福岡延伸を断念したっていう話もあるな〜。
岩徳線でたー、失敗例で来ると思ったw
新幹線の存在がショートカット
究極のショートカットですね。第二弾に入れさせていただきました。ありがとうございました。
@@heitetsu4649 関西本線が東海道本線のショートカット。
内子線の事例はもっと過去に遡る必要が有るんだが
あと地図上は東北本線海岸線な。
順序が逆で、海岸線の方が時間的な意味でのショートカット路線だな。
函館本線のあれも新垂井もそう。
そのとおりです。もともとあったのがショートカット路線(というよりは計画線)ですが、勾配がきつく緩和させるために塩釜線や砂原線、新垂井線を敷設しました。全部軍事的な狙いなのでがっかりですが。
藤城支線は下り専用なので上り貨物列車は走りませんが…。それにトンネル技術や建築技術が発達して行ったのと同時に輸送力増強として迂回もあることから単純に成功と失敗で括りつけるのはどうかと思います。
私が失敗といいたいのは砂原支線です。あれだけ遠回りの路線を作りながら結局貨物も通らなくなり最近では普通列車しか通らず池田園、流山温泉、銚子口が廃駅となるようです。藤代支線はその延長線にあり両方で勾配を緩和することであれば成功ですが、上記のような結果となっています。
@@heitetsu4649
貨物も通らないって…ちゃんと函館方面への貨物は砂原回りですよ。
それに砂原支線の建設は戦時中の輸送力増強と勾配緩和が目的だったはずです。
そういったところに成功も失敗もないです。
まぁ…わかったことはあなたがきちんと調べずに貨物すら通っていないとコメントしたことがしっかり検証していないことがバレたということですかね。
なので低評価を押させていただきました。
最大級のショートカット路線の信越本線→上越線が入っていない。
第二弾でご紹介させていただきました。よろしくお願いいたします
北陸トンネル整備や倶利伽羅トンネル改築まで、名古屋〜富山間のショートカット機能を果たした高山本線も取り上げるべきかと。
八高線、相模線、上野東京ライン尾久駅回り
青梅線の奥多摩から塩山駅バス接続(廃止)
八高線と相模線、横浜線の八王子~橋本は茅ヶ崎~高崎のショートカットにはなりますが特に文献は見当たりませんでした。尾久経由はたしかにそうですね。失礼いたしました。昔時刻表の索引地図を見ていた時関西にいたときに上野からにょきにょきと赤羽までまたぎながら見た路線を見てなんでこうなっているかがわかりませんでした。
そして
西九州新幹線が開業するのか?
武雄温泉から長崎は確実です。武雄温泉から新鳥栖はフリーゲージトレインが失敗したので動向が不明です。
湖西線も京都から北陸方面へのショートカット路線かと。
まあ新快速は米原経由と湖西線経由の両方があるので厳密に言うと「ショートカット」かどうかは謎ですが・・・
第二弾で湖西線に触れております。ご指摘の通り新快速で湖西線経由と米原経由で比較しましたが湖西線経由の方が18分程度早いです。
何しろ関西から北陸へのバイパス路線として国鉄側は湖西線の建設計画が持ち上がると、重複区間にあてはまる江若鉄道(浜大津~近江今津間約51㎞)を湖西線の建設用地へ転用させるため、1969年11月1日限りで廃止したそうです。
これにより湖西線開業後の1975年3月10日の山陽新幹線博多開業を見据えたダイヤ改正では、急行「きたぐに」「ゆのくに」以外の関西対北陸の優等列車をすべて湖西線経由へ移行させ、当時の特急「雷鳥」でさえ15分の所要時間短縮が実現し、さらに今日の「サンダーバード」でさえ京都~敦賀間ノンストップ版では1時間もかからない約50分で直結するまでに至っています(さらにさらに朝晩の湖西線内における通勤輸送に特化した便では、京都~近江今津間を新快速よりも約15分短い33分で、特に45号は大阪~近江今津間を新快速よりも約20分短い1時間ぴったしで突っ走る)。
同じ山陽本線でも相生ー東岡山間は赤穂線ができてもメインルートだね
赤穂線のほうが距離も短く勾配もなく沿線人口も多いのに
山陽線は、瀬野八以外は急勾配がない路線のですけど。
@@N--T 今はどうてことないですけど、上郡〜三石間にある船坂峠(播備国境)の勾配がSLには相当キツかったんです。山陽線が上郡を出て極端に北へ迂回してるのはそのためです。
んで平坦な赤穂線を作ったはいいものの逆に駅が増えまくって所要時間が伸びてしまったというオチですね。
@@Banshyu_cats 上郡、三石間は10キロを超える駅間を誇っており山陽本線では異色の存在。それほどこのルートには人家がなく鉄道需要の無い所へ勾配緩和のための線路を敷いたという証左である。
最大の失敗は、横川ー軽井沢以外に無い。
保津峡のように、観光路線で残す方法もあったのに。
確かにその可能性はあったのですが、
1.碓氷峠の急勾配を登り下りするのに安全の為補助電気機関車が必要でかつ一駅間しかない為、(群馬県側で)三セク化しても経営上の重荷になりかねなかった(現在碓氷峠鉄道文化むらに保存しているEF63が横軽区間の補助電気機関車)。
2.長野(行)新幹線(現在の北陸新幹線)が開業すると、横軽区間を通過する旅客の殆どが新幹線に移行する為、(群馬県側で)三セク化しても1.と合わさって採算が取れない恐れがあった(=同区間を通過する旅客の殆どが新幹線開業するまで運行していた特急あさま・特急白山の利用客)。
その為横軽区間が現在路線バスで運行しているのです。
何が失敗したの?
新幹線は碓氷峠を回避して正解だと思うな。
@@takashike 横軽区間は失敗というより最初から(群馬県側で)三セク化しなくて正解だったとしか言いようがないのが現状です。
もし無理やり三セクするとなれば国鉄時代の段階で軽井沢駅自体の地下化を含めた長大トンネルによる勾配緩和改良をする必要があったかと思います。
それに北陸新幹線ですら高崎~軽井沢の軽井沢寄りの勾配部分は他の新幹線より急な勾配で敷設されており、E7系・W7系(+長野新幹線開業当時のE2系)にはその勾配に対応した設計になっています。
@@kiha52iwate いまいち、何が失敗だったのかがよくわからない。
北陸新幹線のおかげで短縮できたし、コストの割に需要がない一部路線を廃止できてコスト低減もできたし、北陸新幹線が長野方面に良かったと思う。
@@takashike 主は恐らく「横軽区間を観光路線化しなかったのが失敗」と思い込んでいるかと思います。
自分の場合は、北陸新幹線の長野開業(当時は長野新幹線)と横軽区間の廃線(バス転換)は成功だと思っています。横軽区間の利用需要の殆どが新幹線に移行した状態で、観光路線化してたった一駅間だけ(群馬県側で)三セク化して存続出来たかと思うと正直「存続は出来ない」としか言いようがないと思いますよ、横軽区間の特殊性を考慮すると。
石勝線の功績!
石勝線は第二弾で特集いたします。現在制作中です。
@@heitetsu4649
お待ちしてます👍
もし第三弾があれば、白新線(新潟~新発田)もお願いします( *´艸`)
1958年全線開業という新線でありながらわずかな移転等も多く、開業当時を感じさせる駅舎などが残っていないのは残念ですが…
逆に沿線に多い農村集落は、集落を避ける様に宅地や団地開発がされた為、開業前どころか戦前に近い姿で現存しています。
白新線の件ありがとうございます。承知いたしました。
内子線は名前変えないのかな?笑
変えるべきだと思います。杓子定規に新谷から内子までは地方交通線の内子線、そこから先が幹線の予讃線、とするのが個人的には大嫌いです。片町線も片町がないのにいつまで経っても正式名称は片町線、札沼線も石狩沼田まで行っていないのに正式名称は札沼線?役所の頭の硬さには参ります。時代の流れにより正式名称なんて変化させることができない人たちなのです。
内子のあれ、地方交通線に成っちゃってるから、改善して欲しいとは思うが、
そうですよね。伊予大洲~新谷 予讃線(幹線)新谷~内子 内子線 地方交通線、内子~向井原 予讃線(幹線)こんな杓子定規なことはやめていただきたいですね。なんか国鉄か役所のつくる規定みたいなフレキシビリティ皆無な規定です。全部予讃線にして運賃計算も1割増しはやめてもらいたいですね。優等列車はみんな内子経由となっっており詐欺みたいな感覚を受けます。であれば遠回りの「愛ある伊予灘線(伊予長浜経由)」を地方交通線に降格するべきです
これも1980年代成立の国鉄再建法を基準に40年以上モノサシを変えていない弊害です。
中国地方で過去貨物で儲かっていたものの荷主が鉄道貨物を見放した美祢線が幹線で、JR化後に国道渋滞で実績を伸ばした可部線が地方交通線という逆転現象が生じています。
全体的に動画のテンポが悪い
店舗?(笑)
垂井線もそうですね。
垂井線は勾配がきつく、戦時中に勾配緩和のため新垂井線を敷設しましたが下りの垂井線の線路剥がされたのですね。戦後に復旧したみたいです。新垂井線から見れば垂井線はショートカット路線です